千の顔を持つ男 MIL MASCARAS ほど世界的に人気を博した レスラーも数少ない。メキシコ、日本はもちろんロス、ニューヨークの 桧舞台でも絶えずトップファイターとして活躍、タイトル奪取はなら なかったが(お約束!)当時、NWA世界チャンピオンだったH・レイス WWWFチャンピオンS.Bグラハムにも快勝している。 左の写真は自国メキシコで製作放映された映画のピ゜ンナップ。 不死身の私立探偵が主な設定。メキシコに旅する機会のある方は 現地で一度、中古ビデオ店を探してみては?当時はヒット作だった そうなので意外と簡単に見つかるかも?だだ、内容の良し悪しは 当方では一切、保証いたしません。 |
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INVADER3 VS RAGING BULLの対戦です。 過去に販売されたビデオ「決定的!プロレス衝撃の瞬間」よりのラインナップ。 メキシコあたりの体育館を使用しての大会のようです。序盤、INVADER3は ヒール役のRAGING BULL相手に空中殺法を交え果敢に攻撃を加える。 INVADER3のヘッドロックがRAGING BULLを幾度と苦しめるが決定打には 繋がらない。大柄でパワーだけの不器用の対戦相手に小柄なメキシコ選手は手を 焼いているようだ。 中盤、RAGING BULLにロープに飛ばされたINVADER3は コーナーのロープに飛び乗りフライングアタックを仕掛けるがかわされる。 その時、どうやら着地に失敗したようだ。(片足が先に着地したため体をひねる) 更に腹部への攻撃キチンシンクが致命傷となる。 ダウンの最中も腹を押えて悶絶するINVADER3。(このあたりから場内は異様な 雰囲気に包まれる) リング中央にのたうつINVADER3にRAGING BULLは お約束のニードロップを打ち込む・・ ・この一撃が決まり(体重は前面に逃がしていたようだが。) INVADER3が激しい吐血を始める。 白覆面の口元が真っ赤に染まる。 RAGING BULLは危険な状況を察知しながらもヒールに徹して行く。(非道です) なおも2度ニードロップを加えるのだ。(ヒールに徹しながらも動揺は隠せない) 2度目は体重を逃がしたようですが、絶対絶命にあるINVADER3はその危機感 から、どうしても内蔵に負荷が掛かってしまい、なおも激しい吐血! 館内の異常とレフリーのコングで控え室から大挙レスラーが駆けつける。 RAGING BULLのお役はここでゴメン。 不適な笑とポーズを決め退場する。 快方にあたる選手は食い入るTVカメラを振り切り、急いで病院へと向かって行った。 ※この試合は意図的に対戦相手を負傷させた試合ではありません。 発端はやはり事故だと推測します。 幾つかの場面で力量の差か、正確な受身が 取れて入れず、これが事故の発端です。 また、負傷者に対し、更に攻撃を加える 行動はレスラーの宿命とも言えるセールスの部分だと推測します。 悪役を演じているが故、この状況ではそれに徹することで次への試合(復讐戦や リターンマッチ)に繋がるからです。 事実、この試合は警察沙汰や告訴等へは発展しておりません。 (PS)日本国内では過去に「力道山VSブラッシー戦」にてブラッシーの噛み付き 攻撃による流血試合をTV観戦した数名がシヨック死すると言う事件が起こりました。 この時はさすがに警察が動き、当時の日プロに事情聴取が行われたそうです。 一説にはトリックだったと言う弁明に警察側は激怒したと言われております。 |
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数ある暴露本の中で一気に読めた一冊に、元新日本プロレス・メインレフェリー
ミスター高橋の 著書による「流血の魔術 最強の演技」(講談社刊)がある。 ミスター高橋は本文中で幾度と「私はプロレスのエンターティメント性の向上を望む。」と語っているが、 どこかでまだ猪木、いやプロレスに未練があるようにも読める。「愛しさ余って憎さ百倍」と言う感じだろう。 新日本創設期、猪木はTVを持たず興行だけが全ての収入源だった、そこで猪木は観客動員数の発表を 水増しし、「俺の試合を見たければ会場に来い!」と嘘ぶいた。また全日本の馬場に対しては「対戦すれば 3分で倒してやる!」日本プロレスのエース坂口に対しても「片手で3分だ!」と言い切った。 強烈な野心、それこそが猪木の強さの根源と言えよう。レスラーでは無く、ビジネスとして才覚が彼には あった、そして多くの人々がその魅力に群がった。NET系が日本プロレスと絶縁、突如新日本と連携を 共にする。TBS系は国際プロレスに見切りを付け、ここに「全日VS新日」時代の幕が斬って落とされる。 「闘魂」をキーワードに数々の戦略を打ち立てる訳だがここでこの暴露本の内容が重要な役割となって 行く。敵味方関係なく切り捨て、踏み台にし一人のし上がる猪木。しかし、彼の虚像には少しづづヒビが 入っているようだ。 (内容) 「伝説の猪木VSロビンソン戦の内幕」 「4週間かけてアンドレにギブアップを承諾させた」 「負けはOKでも放送はNGだったバックランド」 「NWFベルトは1本1万ドル」 「異種格闘技戦でも勝敗は決まっていた」 「強きを助け弱きをくじく燃える闘魂」 「最後まで実減しなかった猪木VS前田戦」 「ブロディのダッグリーグ戦ボイコットの裏側」 他 |
「1976.12アントニオ猪木VSアクラム・ペーールワン戦」 上記、本文中にもある数少ない猪木のセメント・マッチがこれ。 プロレススタイルから入る全ての技が潰されるシーンは恐怖さえ感じる。 今の「プライド」に照らし合えば猪木の未熟さが露呈されるが、当時の状況を考慮すれば 仕方ないと思える。 何より、看板たるエースがこのような状況でもリングに上がったことは 賞賛に値する。残念ながら当時は今ほど評価がされなかった凡戦とあるが、確かに巨漢揃いの ヘビー級とは到底比べ物にならない肥満中年オヤジ(失礼)に大苦戦したのだから仕方がない。 むしろ、脱臼を骨折と言い、故人となったアグラハムを「あの一戦が命取だった」と言い切る 猪木のビックマウスに頭がさがる。 一応これも、永く封印されたが「異種格闘技戦」とある。 |
左の写真、実は読売ランドでのファン感謝デーでの1シーン。 大仁田相手に鶴田は4つのスープレックスを披露。 大仁田は当時、鶴田の付き人。右の写真ではリングインする 鶴田とファン整理をする大仁田が映っている。 大仁田と言えば彼が前座から少し売れ出した頃、大役とも言える テレビ放映、しかも対戦相手は「ミルマスカラス」と大抜擢。 正統派マスカラスに大仁田はラフで対抗、マスカラスの怒りを 買い鉄柱攻撃のお返し、頭部をしたたかに打った大仁田は頭を 抱えながらヨロヨロ(マジ打ちしたようだった!)そんな彼を知って いるだけにFMWでのタフさにはビックリ!ウソーって感じ! |
天竜VsWWFランディサページ 全日・日テレの一大イベント「日米レスリングサミット」における熱戦。 当時40歳の天竜とWWFヒールNo1、37歳ベテランの域に立つ 「まだ見ぬ強豪」サページの注目の一戦は東京ドーム大会での スペシャルマッチとして開催された。当時プロレスエンターティメントの 頂点に立ちつつあったWWFその懐刀とも言えるサページは円熟の 域にあり、常勝天竜にとっても手強い相手であったのは間違いない。 勝負を決めたパワーボムはサページの柔軟な肉体と経験からなる 反射神経で見事に両腕と受け身でダメージを最小限に抑えていた。 勝敗はこの一撃により天竜のスリーカウトとなっているが、演出である ことは一目瞭然。WWF陣営の底力をありありと見せ着けた一戦と言える。 |
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猪木、その魅力は他類まれなるカリスマ性にある。 カリスマは他人からの尊敬や敬意を求め、意図して身につくものでは無い。そこには金銭や地位の関係を遥かに 越えた人としての不思議な関係が存在している。猪木はこのプロレス界において共存するライバルを高い 戦略の元に自らの踏み台にしてきた。言葉としては聞きは良くないが、常人ならライバルを蹴落とす事を考えるか、 妬み・無視するかを考える。 猪木はそんな姑息な手段を取らず、同じ土俵で優越を競ってきた。 そこには「勝つ」ことを信じた勝師としての魅力があったと想像できる。「闘魂」それは偽りのない彼の人生だったと 私には思える。そんな彼に憧れ、多くの猛者達が独立を果たしたが今だ彼を越えることは出来ていない。 「猪木の後に猪木なし」戦後を含む昭和の時代と力道山そして馬場との出会いが彼をここまでのカリスマに作り上げ たのだろう。 そして過ぎる月日が彼を更に大きくするのもまた、事実だと思える。 |
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